なんだかんだ生きてます。
今は毎日が楽しいです。
…いや、楽しい、って思い込ませてるのが正しいかもしれないです。
久しぶりにここに帰ってきた。
何故か。友人が毎日ブログを更新しているという話を聞いたからである。
ほぼ日記のような感じで短文でも乱文でも、その日に思ったことを更新しているんだとか。
誰かに宛てたものでは無さそうだったが、公開してそれをSNSで発信しているのだから、すごいなあと思った。
で、ふとここの存在を思い出した、というわけ。
コロナ禍に手持ち無沙汰となったために始めたものだったが、案外当時のことを思い出して良いなと思った。
で、最後の更新で病み散らかしていて、現在の私大笑い、という感じである。
なーにが、死にたいだ。
いいか、2022年5月26日の私よ。
お前は結局2022年も頑張って生き延びることになる。正直何が楽しくて生き延びたのかサッパリ思い出せんが、とにかく、辛かったと思っていた2022年はあっさり終わる。
そして、もっと辛い2023年が来る。
きっと信じられないだろう。今より辛いって何?となるはずだ。
でも、今の私は2022年のことをサッパリ思い出せなくなるくらい、2023年というのはずーっと、それはもう永遠を感じるくらいにずーっと辛かった。死にたいなんてもんじゃない。死んでた。
2022年の私よ。
会社に行くのが嫌で、泣いたことあったよな。それでもここで逃げたら負けだって、変な負けん気が働いて、涙抑えて出勤したよな。
本当に偉い。会社に着いてから人気のない所でひとしきり泣いて、気持ち切り替えてオフィスに向かっていて、本当に偉い。
2023年の私は、そこからさらに拍車がかかり、家にいる間はずっと死ぬことについて考え、家を出る前に涙が止まらなくなり、電車の中にいても人目をしのぶこと無く涙を流し、会社に着いた途端、涙がぴたりと止んで、無の感情で働いていた。そして帰宅途中の電車内で、また思い出したかのように泣き出し、泣きながら家に帰り、風呂の中でも布団の中でも泣いた。
産まれたての赤子より泣いてたよ。
2022年の私よ。
5月26日。この時期がなぜ辛かったかまでは忘れることはない。私という人間はつくづくかなしい存在なので、プラスの感情よりもマイナスの感情を強く覚えてしまうらしい。この時期の私は、嫌だった昇格を受けることになり、命の糧にしていた現場がコロナで中止になったことが最終的なトリガーとなって、自暴自棄になっていた。
でも、なんだかんだ2022年は現場に救われて、現場近辺は毎回「楽しい🎶🎶🎶生きててよかった🎶🎶🎶明日からもがんばろ🎶🎶」の気持ちになれたから、なんとか踏ん張って生きてこれたんだよな。
2023年の私は、人生の中で最も多く現場へ足を運び、最も良かった座席へも入り、経験したことの無いことまで経験出来たが、座席に着く直前まで、そして、コンサートが終了した直後から、ずーっと死にたかった。
自分でも意味が分からないのだが、わざわざ地方公演を当選させ、バカ高い遠征費を支払い、良い座席まで確保しているのに、「外部の知らない人間と会いたくない」という理由で、開場30分前までホテルで動けずにいたことだってある。
その時に悟ったよ。あ、今の私、本当に人間として生きていないのかも、って。
今までに無かった感覚だった。どれだけ嫌なことがあっても現場近辺はウキウキワクワクだったのに、
その感情が全く湧いてこない。仕事のことで頭がいっぱい、という訳でもないのに、だ。
ただひたすらに、どうすればこの世界から消えることが出来るのかを、真剣に考えていた。ほんと、無駄な時間だったな。
きっと然るべきところに行けば、何かしらの診断を受けていたと思う。ちょっと病んでた、くらいじゃ済まされないような感じだった。このままではいけない、と思った私は、部署異動をし、入社前の私が希望していた部署へ異動することになった。
今の私は、毎日を楽しく生きている。
そう思わせているのが正解かもしれない、と冒頭で書いたのは、少しでも負の感情を抱いてしまうと、急にまたあのどん底に叩きつけられるような感覚が残っているからだ。
異動もして、月2で現場が無くても生きていけるようになって、仕事にもプライベートにも生き甲斐を見つけ出して、周囲の人間関係にも恵まれていて、勿論好きな現場にも通うことが出来ていて、幸せなのだと、
今の目の前の小さな幸せに対して、きちんと「幸せだ」と受け入れてあげないと、
あの時の私が、
まだ報われていない、
昇華されていないあの時の"私自身"が、
じっと、品定めでもするように今の"私"を見つめているような気がするのだ。
嘘をついたり、サボることを覚えた人間は、楽をするために嘘をついたりサボったりするのだと思う。それは一種の逃避行動だ。
同様に、死にたいという感情に一度支配されると、もうそのこと以外を考えられなくなる。死んだ方が楽だと思うからだ。
だから、今の私は、そんなことを考えなくていいように、毎日に対して「幸せだ」と言い続けなくてはいけないような気もしている。
2022年の私と、2023年の私よ。
2024年の私は、この2年間を生きてきて良かったと肯定してあげるべく、毎日を「幸せ」で埋めつくそうと思うよ。本当につらくてしんどくて、死にたかった2年間だけど、決して無かったことにしたいとは思っていないよ。今日まで生きてきてくれたから、今日が楽しくて幸せなんだって、私に言い聞かせてあげたいんだよ。
だからどうか、
優しく、温かく見守っていてください。