ただの日記

毎日が週末

2020/09/05

生きてます。
あのクソ重ブログから早100日以上経ちました。ワニなら死んでましたが、私は普通に生きてます。

ここは私の公開日記なので過去の日記を消すつもりは無いですし、あれもまあ良い思い出(全然良くはない)として自分の中で消化出来つつあるので、良しとします。

6月9日。私の仕事が再開して。
6月19日。彼が事務所を退所して。
6月21日。某舞台のチケット抽選に応募して。
7月4日。大好きな推しのお誕生日を祝って。
そこから1ヶ月、何事も無く淡々と仕事をこなして。
8月16日。沼を開拓して。
8月30日。愛する担当のお誕生日を祝って。

そして今日、9月5日。某舞台のチケットが手に入りました。

こうして見ると、8月16日に新しい沼を開拓するまで、私本当に干からびた生活を送っていたような気がするわ。一切の記憶がございません。可もなく不可もなく、いちばんつまらない時間を過ごしてしまって居たのでしょうか。

全然そんなこと無かったわ。(過去ツイ遡ってきた)

推しに湧いてた。湧き散らかしてた。すっかり忘れてたけど(ごめんな)夏は一大イベントがあったわ。3~4年振りに沼を開拓した衝撃が大きすぎて忘れてたけど、愛で地球を救ってたわ。


あの日以来1度もログインせずに放置してきたここを久しぶりに書きたくなったのは、文字に埋もれたい気分になったからです。何か書きたい、そんな衝動が不意に起きたからです。
かと言って何か面白い事があった訳では無いし、新しい沼に関しては身バレがこわいから書きたくないし、なんだろうな、何が書きたいかな。

最近、結構自分の中ではハードル高めの買い物をしました。色々やったので金額的にはそこまで掛かってないですが、それを私が今持っているのだと思うとソワソワが止まりません。大人になったなと思います。


…そうだ大人。大人と子どもについて書こうかな。
私が思うに、人生のピークは18歳~20歳の2年間だと思っています。高校を卒業して、成人するまでの2年間。大人にも子どもにも振り分け難い2年間が、私は大好きでした。
ちなみに、ここで書く大人は「成人」を、子どもは「未成年」を指します。
私は大人になんてなりたくなくて、ずっと子どものままで居たいと思っていました。大人になれば、責任を持たなければいけないからです。
小さい頃から何かと責任感を強く持たされ、気がつけば、人前に立ち、周りを引っ張っていく存在に成っていました。人の上に立つというのは、やはり気持ちが良いものです。私が右と言えば一斉に右を向くし、左と言えば一斉に左を向くような、そんな素直な人達に囲まれていたからです。あの時はリーダーシップを取る事が楽しくて仕方ありませんでした。けれどもある日、「リーダー」で居続ける事を苦痛に感じたのです。それは小学校中学年になった頃でした。周りのやりたくない事が押し付けられ、都合の良いように使われ始めました。馬鹿な私はその事に気が付かず、せっせと毎日動きました。これがリーダーの役目だと思っていたからです。実際にはそうではなくて、ただ私が疲れるだけだったのに。

その日から私は責任を持つことが嫌になりました。そんな自分が嫌になる事もあります。今だって、「こうなったのは私のせいではなくて周りのせいだ」というような文面になっています。明らかな責任転嫁です。本当は自分に技量が足りなかっただけかもしれないのに、そうとは認めず、ただ周りのせいにしている、こんな自分が嫌でたまりません。だけど、それよりも責任を持つことの方が嫌なのです。他人には干渉せず、自分のことも干渉させず、"責任"を宙ぶらりんにする事で、私は責任から逃げるようになりました。でも、責任から逃げられるのは、子どものうちだけです。大人になればそうはいきません。だから、大人になんてなりたくなかったのです。

大人になりたくないと強く願い続ける一方、私はすくすくと健康に育ち、毎年1つずつ歳を重ねていきます。どうしても抗えないのは「時間の経過」です。私と他人の間で宙ぶらりんのままだった"責任"が、少しずつ私の元に近づいてきます。それは、弛んでいた糸が少しずつ張られ、その糸の先についている"責任"を、時間の経過という不可抗力が引っ張ってくるようでした。嫌でした。本当に、大人になりたくなかった。

大人になりたくなかった理由は他にもあります。
仕事や私生活に追われて自分の好き勝手に行動出来なさそう、とか、子どもの頃の後悔が押し寄せてきそう、とか。何も考えずに生きてるだけで褒められる子どもとはまるっきり違う動物になってしまうようで、そこには怖さもありました。
様々な経験を経て、私は「大人」になる事を夢見るようになりました。私が思う「大人」は、「広い世界への探究心と好奇心を忘れずに、自分の責任で、自分の好きなことをする人」のことです。視野を広く持ち、面白いことを見つけるレーダーを飛ばし、それに疲れたら甘いもので休憩して、また自分の好きなことを探し続ける、そんな「大人」になりたいと思いました。
それは、大人になってしまった今でも、強く思います。いや、大人になった今だからこそ、強く思うのかもしれません。子どもの頃には許されなかった運転も飲酒も夜遊びも、大人になってしまえば「自らの責任で」全てやる事が出来ます。私を見て、大人って楽しそうだな、と周りの子どもが思ってくれたら、いちばん嬉しいです。


だけど、やっぱり人生のピークは18歳~20歳の2年間だと思うんです。子どもの無邪気さを兼ね揃えたまま、新しい世界の扉を開いていく多感な時期。子どもだからこそ許される事と、大人だから出来る事の両方を上手く組み合わせて、この広い世界での遊び方を学んでいく時期。どちらにも属さない孤独感を味わって、心を動かし続ける時期。キラキラも、ドロドロも、全部が一緒くたになって自分の中に溶け込んでいく、大切な時期。
上手く言い表せないけれど、今風に言えば「エモい時期」だと思っています。

20歳を迎えた今でも、あの2年間がきっと人生の中でいちばん華やかで切なくて刺激的な2年間だったのだと信じてやみません。

今の私の目標は、その2年間を上回るような、刺激的な人生を歩める「大人」になる事です。

今日もちゃんと眠くなってきた!おやすみなさい。