ただの日記

毎日が週末

2020/05/01

気づけば無職から2ヶ月経っていた。カレンダー的にはGWが始まっているが、私のGWは3年ほど前から無いものとして扱われているので、ただの5月頭という認識である。ただ、今のままでは緊急事態宣言が終わる目処が立っておらず、5月4日に発表があるとのこと。恐らく延長するのだろう。だが、まだ何とか耐えられそうだ。こんなにのんびりした1ヶ月を過ごしたのは乳児期以来だと思う。いや、もしかしたら泣いて笑ってを繰り返していた乳児期の方がもっと忙しかったかもな。毎日何もせずに、ただただ時が流れていくのを待つ1ヶ月なんて、今後の人生で過ごせそうに無いので、もう暫くの間だけでも満喫したいなと思う。

さて、無職になる前日、同期と『明日から何する?』という話題で盛り上がったことを思い出した。ここでひとつお断りを入れておきたいのだが、無職無職と言い続けた私は、失業しているわけでは無い。まだ会社に雇われている身である。何度も登場している接客業だ。ただ、店が開いていないので職が無い=無職、なのである。当時の予定では3月中旬には再開するとの事だったので、2週間ほどの臨時休暇、くらいにしか考えていなかった。
2週間で何を得られるのか。得たものを2週間後再会した時に発表し合おう、と言って、お互いに何をするか考えた。真っ先に思いついたのはトレーニングだった。2週間で痩せる○○、とか、2週間で鍛える○○、みたいなものがこの世にはごろごろ転がっている。それを2週間きちんと取り組んでみないか、という話になった。2ヶ月経った今の状況をお知らせしよう。全く動かず何も食べずの生活を送っているので体重は減った。しかし、体脂肪率は変わらず、筋肉量のみが減っているので、これを私はコロナ老化と呼びたい。…はて、昨日もこんな内容を書いたような。まあいいか。
次に思いついたのは、語学の勉強だ。グローバル化が進む中、接客業をする上で、やはり英語でのコミュニケーション能力というのは必要になってくる。2週間あれば、接客用の英語なら習得出来るのではないか、という話になった。2ヶ月経った今の状況をお知らせしよう。あの頃の何ら変わらない語学力である。毎日何かしら文章を書いているので、どちらかと言えば日本語力が上がったはずだ。いや、私の文章は決まり文句の順番を並び替えたようなものばかりなので、日本語力も大して上がっていないだろう。2ヶ月経ったが、特に取り組んだことは無いので変化無しである。

だが、2ヶ月前と今では、コミュニケーションをとる相手に少し変化が訪れた。実は今、英語圏に住む海外の方と英語でのやり取りを時折行っている。共通の趣味があり、SNSで繋がった相手で、向こうも日本語が少し分かるので、英語9:1日本語の割合でメッセージのやり取りをしている。私の英語力は中学英語で止まっているので、まずは自分で英文にしたものを一旦ネット上の翻訳サイトで翻訳する。3つくらい使ってみて、おかしくないなと思ったら送信。もちろん向こうは即レスなので、こちらが既読をつけてから返信までにめちゃくちゃ時間のかかるやり取りになっている。それでも、メッセージのやり取りを続けてくれているのでとてもありがたい。ありがたいと言えば、私の拙い英語力でも簡単に読み取れるように分かりやすい表現を多く使ってくれるので、相手からのメッセージを読む時は基本的に翻訳サイトを介さなくて済む。かなり時短だ。たまに「見た事あるけど意味なんだっけ」な単語が送られてきたり、初見のスラングが送られてきたりするので、その時は迷わずGoogleに頼る。結局のところ、私の英語力とは、Googleありきなのだ。

今もその相手とメッセージのやり取りをしてきた。日本語でやり取りする時よりもずっと緊張する。学生時代、教師から『外国語を上達させるコツは、間違いを恐れずにその外国語をひたすら使い続けること』と言われた。しかし、日本語同士のやり取りでさえ、受け取り方が異なることだってあるので、不慣れな英語だと余計に誤解を生む虞がある。だから私は慎重に、伝えたいことを、ストレートな表現でメッセージを送るようにしている。なんてったって日本人なので、あまりに直接的過ぎやしないか?と思う部分もたまにあるが、相手はあまり気にしていないようなので、これでいいのか、と思う。毎回送信ボタンを押す時は、まるで好きな人へのメッセージを送る時のように緊張している。だけど、この緊張感がとても刺激的で楽しいのだ。自作した英文を翻訳サイトに掛けて、1つもおかしな点が無く、かつ相手がきちんと理解してくれた時などは、私の英語力めっちゃ上がってるんじゃね???とかすぐ勘違いしてしまう。さらに相手はよく『君の英語はよく出来てるよ』と褒めてくれるので、さらに調子にのる。そしてその直後に、理解の出来ないスラングが送信されてきて、すぐGoogleに頼るのだ。

I want to be able to communicate in English.
Thank you for always communicating with me.

もちろんこれも、翻訳サイトで調べた後に掲載している。間違っていたら恥ずかしい精神は、どれだけ時が経っても抜けないものだ。

2020/04/30

1年前の今日、2019年4月30日は平成最後の日だった。
ということは、今日で令和が始まって丸1年ということになる。
私はバチバチの平成生まれで、『昭和にShowは無理〜』と歌うアイドルと共に成長してきたが、ついに『平成生まれなんですか?!』みたいに言われる未来への1歩を歩み出してしまっている。平成生まれですよ。
令和になってあらゆる事が起きたなと思う。様々な事件も、事故も、自然災害も。嬉しいことやおめでたい事も沢山あったと思うけど、正直そこまで覚えていない。事件事故災害の括りもそんなに覚えていない。
私生活で言えば、まさに新生活を初めてリズムを調えてすぐ令和、という感じだった。『令和になる瞬間電話しよう』と言われて、令和初日は朝早くからの出勤だったのに友だちと電話を繋いでいた気がする。はっきり言って、年越しのように盛り上がれる程の想いや熱量は無く、半分寝落ちしていたような気がする。これももう覚えていない。
最近、昔のことを思い出そうとしても、なかなか思い出せないことが多々ある。『この1年何がありましたか?』って聞かれたら「あれとか〜これとか〜?」って抽象的な事は何となく伝えられるけど、細かく「あれです!これです!」なんて言えない。記憶力がひどい。本当にひどい。毎日日記を書くことで忘れているんだと思う。SDに保存したから本体からは消していいや、みたいな。本体の容量不足しそうだし、とりあえずSDにバックアップだけしておこ、みたいな。
おかげで2.3日前の夜ご飯とかもパッと思い出せない。毎日作ってるのに。えっ、私、毎日夜ご飯作ってるのに思い出せないんですか?ヤバ。老化ヤバ。コロナ離婚なんかよりもコロナ老化の方が心配になってくるわ。
老化といえば、最近体重がぐぐっと減って、「動かず食べずの生活だからかな〜???痩せてハッピー✩.*˚」と思っていたけど、実際には筋肉量が3kgも落ちていただけだった。体脂肪率変わらず。ヤバ。コロナ老化じゃん。とりまタピろ✋🏻✋🏻✋🏻…いや、タピろとか令和2年目が始まるのにもうそれは死語の括りじゃん😭😭😭😭😭こわ😭😭😭😭😭😭コロナ老化こわ😭😭😭😭😭😭

何を書くつもりだったのか忘れた結果がこの内容である。今日は大して特筆することも無くのんびりしていたかな。さっきまでゴチになるバラエティ番組を観ていました。久しぶりにテレビ付けた気がする。面白かったです。明日も強く生きる。

2020/04/29

人は気持ちが昂った時、どうやってその感情を静めるのだろう。
私の場合は、文章を書くことである。
嬉しい時も、かなしい時も、頭の中では文字がたくさん並んでいる。
どう嬉しいのか、どうかなしいのか、どんな言葉で表現出来るのか、はたまた出来ないのか、そんな事がぐるぐると永遠に回り続けている。
今も、昂る感情を抑えようと、文章を書いている。今の場合は嬉しくて昂っているので、乱文で、とりとめがなく、読み直した時に非常に苦労するだろう。
だけど今は、本当に本当に嬉しくて、心臓が飛び跳ねていて、私自身も飛び跳ねてしまうくらい、喜ばしい気持ちでいっぱいなのだ。
有難いという感謝の気持ちもあれば、好きだなあという恋に近い感情もいる。今の私の心は桃色に染まっていて、青空に包まれたお花畑みたいな、爽やかで甘くて、だけどずっと嗅いでいるには耐えられないような、そんな匂いで充満している。私の周りではポンポンと『好き』が弾けて、中から溢れ出たキラキラが流れ星のように降り注ぐ。目に見えるもの全てが輝いて見えて、どうしても口元が緩く弧を描いてしまう。久しぶりに見れたこと、聴けたこと、可愛らしい顔、凛々しい横顔、触れたい、もっと貴方の世界に浸っていたい、もっと近くで見たい、もっと近くで聴きたい、そんな風に欲望がどんどん高まっていって、抑えられなくなって、そして『好き』が弾ける。
ああ、なんて素敵な世界なんだろう。先の見えない毎日の中に、光が指すとはこういうことを言うのだろう。

どうしても今夜は治まる気がしない。別のところで全て出し切っておこう。

2020/04/28

今日の話は少しこわいので、見たくない人は見ないで欲しい。

私の幼馴染は姉弟で視える体質だ。
小さい頃、2人で遊んでいたら家の中に誰かが入ってきて、2人が居た部屋を思いっきりノックされたらしい。ノックしたのは明らかに家族ではない、とお互いに感じた彼らは、勇気を出して『誰?!』と叫んで聞いたものの返事はなく、ただノックが続くだけだった。こわくなった2人は、部屋のベッドに隠れ、その何かの襲撃に備えたらしいが、しばらくするとフッと気配が消えたと言う。あまりにこわかったので、リビングにいた父親に『さっきノックしたの誰?』と聞いたら「誰も部屋には行ってないよ」と返されて余計にこわかった、と今でも怯えながら話してくれる。

『この思い出の中でいちばんこわいのは、この時お互いに会話をしていないところだよ。どちらか片方の気の所為、ではなくて、共に同じタイミングで同じ体験をしたんだ。』

幼馴染弟は、今は全く視えないしそういうのは分からない、と言っていたが、正しくは『今は全く視たくないし、分からない振りをし続けたい』だと思う。彼はかなりのビビりだからだ。
一方、幼馴染姉は今でも時折感じるらしい。『あっここやばいな』とか『…誰か見てるな』とか思うらしい。本人は『何も知らないふりをするので向こうも相手にしてこない』と言っていたが、それでもひとり暮らしをしているとこわいと感じてしまうようで。

『めちゃくちゃ誰得な情報教えてあげよっか?後ろから視線を感じる時、あれは後ろからじゃなくて、真上から感じているんだよ』

むしろ知らない方が良かったのでは、と思うほどの豆知識を幼馴染姉の方から披露して頂いた事があるので、ここに書いてその豆知識を皆さんにもお伝えしたいと思う。
私はこの豆知識を得て以来、本当に後ろがこわくなった。
ドライヤーで髪を乾かしている時、後ろから何かの気配を感じる事が度々ある。
私も、幼馴染弟と同等レベルのビビりなので、こういう時は知らん振りを続けるのだが、そういう時に限ってさっきの豆知識が頭をよぎったりする。
もしこれで仮に、後ろに何かが居たとしよう。後ろに居るということは、おそらく立っている、座っているはずなので、一旦は『人かな?』と思うことが出来る。だが真上はどうだ。真上にいるそいつは明らかに『ヒト』ではない。この世に存在していてはいけない『何か』である事がひと目で判断出来る。
ちなみに幼馴染弟は、『視線?感じない。感じても気にしない。真上?絶対見てはいけない』と教訓のように言っていた。そこも彼らの共通認識である事が、余計にこわかった。

視線といえば、耳鳴りがしている時は霊と目が合っている時、という説を聞いた事がある。それとほぼ同じタイミングで、霊を撃退するためにはエッチな事を考えるといい、という説も聞いた。
何故これを同じタイミングで聞いてしまったのかは分からないが、それ以来、耳鳴りがする度に頭の中がエッチなことでいっぱいになるようになってしまった。情けない。本当に恥ずかしいので人には言えない。そして、100%の確率で耳鳴りが直ぐに治まってしまう。余計にはずかしい。

あともうひとつ、霊に関する説で聞いたことがあるのは、こういう話をしているところに集まりやすい、という説だ。呼ばれているのだと勘違いして集まるのだという。

…危ない。今、思わず真上を見てしまうところだった。

このままだと何か不純なものがここに溜まってしまいそうなので、今日は今朝見た夢を書いて終わりにしようと思う。
今朝寝ぼけながら、日記アプリに書き残した夢だ。
朝ごはんを食べ終わって、何故か日記アプリが開かれた状態だったので見たら、全く身に覚えはないけど、明らかに私が書いたであろう夢の内容が出てきた。

「何かの野球の歌と甲子園の歌を勘違いして、私1人歌い始めをミスり続けてたや、前で立って歌っていた香川照之から『お前違うよ』と言われた夢」

ありがとう香川照之、今日も良い夢が見られそうだ。

2020/04/27

沢山の人と生きていくためにはルールが必要だと思う。

ルール無しに、みんながみんな好き勝手に活動していると、その活動のせいでかなしい思いをしたり、損をする人が出てくるからだ。
だけど、ルールを作るのは難しい。ルールはみんなが守るものなので、みんなの意見が一致した方がいいけれど、みんなの意見が一致するなんてことは、そうそう無いからだ。
ここでひとつ言いたいのは、ルールはみんなが"守るべきもの"ではあるが、みんなへ"守らせるもの"ではないということ。私の理想のルールは、誰かが誰かへ強制させるものではなくて、みんなが自主的に守ろうと思うものだ。
ルールを考える上で、沢山の意見を取り入れることが重要になってくる。それは賛成の意見もあれば、反対の意見もある。もっと細かく見ていけば、Aという面に関しては賛成だがBという面に関しては反対だ、という人も居るだろうし、はたまたその逆を唱える人だっているだろう。AとBだけにフォーカスを当てて考えていたら、CとDが置き去りにされて、また1からルールを考え直さなくちゃならない、なんてこともある。
多くの人が納得するルールを作るコツは、如何に多面的に考えられるかが重要だと思う。つまり、1人の頭じゃルールは作れないし、100名の賛同だけでもルールは作れない。主観的に作り出したルールを、一旦客観的に見つめ直すことで、見つけ出される欠陥もある。そうした欠陥を全て取り除いて出来たルールこそ、真のルールと言えるだろう。

だが、ここでひとつ疑問が生じる。
果たしてこの世界で、真のルールというものが作れるのだろうか。
全員が皆納得して、どう多面的に考えても、どう客観的に見ても、非の打ち所がないルールなんて、この世界に存在出来るのだろうか。
不可、だと思う。必ずマイナスを補わなくてはならない誰かが出てくる。そうなると、その誰かはルールを叩くし、その誰かはルールを破る。だから『ルールは破るためにある』なんて言う言葉が生まれたりもする。もちろん、破るためあるルールもこの世にはあると思う。例えば理不尽な利子が付いた金貸しとかね。直ちに法律相談所へ相談した方が良い。だけど、この言葉を盾にして、あらゆるルールを破っていては、世界の均衡は保たれないんじゃないかな、と思う。

世界の均衡を保つためにルールはある。そのルールが練りに練られて生まれた以上、私たちはそのルールを自主的に守っていく必要がある。ルールを多面的に考えよう。負の面ばかり、正の面ばかりを眺めるのではなく、自分にとってこのルールはどうなのか、相手にとってはどうなのかを考えて、お互いを思いやれば、ルールは次第にみんなから守られるようになると思う。

誰かが必ず補うマイナスは、ルールを守る皆で分け合えばいいのだ。私たちがルールを守るから、ルールが私たちを守ってくれる。

ところで、さっきから私の脳内BGMが『某有名女性の部屋』になっているのは、この世の掟=ルールなのだろうか。

2020/04/26

1週間後、本当ならだいすきな人たちと会っているはずだったんだな、と思い出しては、今、めちゃくちゃ寂しい気持ちになっている。

曲を聴いたり、テレビを見たり、雑誌を読んだり、映像を見たり。普段ならこれで十分満足出来ていたのに、会えないと分かっている分、本当につらくて仕方が無い。
何せ、来週のためにこの上半期を乗り越えてきた、あの忙しかった年末を乗り越えてきたと言っても過言では無いくらい、本当に、本当に楽しみにしていた。
それなのに、この現状で、早くに中止が決定して。
わかりきっていた事だけど、日程が近づいてくると、つらさとしんどさが押し寄せてくる。
なんでだろうなあ、とか、どうしてだろうなあ、とか考えても、やり場のない怒りが、憤りが生まれても、最終的には、切なくてかなしくてやるせない気持ちでいっぱいになる。
誰かにぶつける訳にはいかないし、誰かがこれを受け止める義務も無いのだ。

誰も悪くないからだ。
運営出来なくなったことを残念に思う気持ちは、アーティスト、ファンどちらも同じで、それを分かち合って今を乗り越えるべきだと思っている。『出来なくなってごめんね』などと謝られると、余計に私はかなしくなってしまう。『私の方こそ、無力でごめんね』と言いたくなる。

今を乗り越えるために日々努力し、危険を顧みず、大勢の人の命を救うために活動してくださっている方々には感謝しかない。私なんかが、こんなことでワンワン喚いている場合ではないと思う。

だけどどうしてもつらい。自由に外に出て、好きな人に会いに行きたい。

こんなに憂鬱な日曜日を過ごすのは、久しぶりの事だった。

2020/04/25

昨日の内容があまりに酷すぎたので今日くらいは内容のあることを書きたいなと思う。
とはいえ、今日は何をしたかと聞かれると、ネイルを塗り直して、お昼寝をして、木更津キャッツアイ(日本シリーズ)を見たくらいで、相も変わらず特筆することは何も起きていない。

木更津キャッツアイ 日本シリーズ [DVD]

木更津キャッツアイ 日本シリーズ [DVD]

  • 発売日: 2004/04/29
  • メディア: DVD

私が暇を持て余していると聞いた知り合いから「木更津キャッツアイ持ってるけど見る?」と言われ、『やる事ないし見るわ』と二つ返事で貸してもらった日本シリーズワールドシリーズ。キャラクターの名前が少しわかる程度でこれを見始めたのだが、見終わってからようやく『さてはこれ、ドラマ版から派生して生まれた映画なのでは…?』と思った。今、AmazonのURLを貼ろうと思って 木更津キャッツアイ で検索を掛けたらDVD-BOXが出てきた。やっぱりそうか。いくらクドカン脚本とはいえ、ここまで観客を置いていくか???とだいぶ頭を悩ませながら見ていた。ぶっさんの歌が上手いことと、バンビがひたすらかっこいい事しか分からなかった。それに、ドラマ版があるなんて知らなかったし、ドラマ版があるならそっちの方を貸して欲しかった。
とはいえ、2時間も満喫出来たので知り合いには感謝している。ありがとうございました。ワールドシリーズも見ますね。

私の職場は基本ネイルNGである。足の方はずっと塗っていたが、無職になってからすぐ手の方も塗るようになった。だが、毎日夜ご飯を作るのでネイルはどうだろう?と思ったりもする。特に私が使っているポリッシュは乾きが遅いため、10:00頃から塗り始めても、お昼またいで夕方までにしっかり乾ききってくれない。そんな手で食材は触りたくないし、ネイル自体がヨレるのも許せないので、今日の夜ご飯は作り置きしていたものを解凍するだけの超ズボラ飯になった。ま、腹が満たされればいいっしょ。あと同居している家族へ言いたいのは、私が夜ご飯を担当しているので、私の夜ご飯の心配はしないでほしい、ということだ。計算が合わなくて足りなくなるなんて事は基本無い。作りすぎる事もない。今日は解凍している段階で『1人分足りないな』と気づいていた。でも私が担当しているので、足りない1人は私が請け負えばいい。家族の皆さんが「貴方の夜ご飯が無いじゃない」と心配する必要が無いのだ。足りないことくらい頭っから気づいているし、だから更に作り置きのおにぎりを1人分チンして食べたじゃないか。それを気遣って「ほら、私たちの分を食べなさい」なんて分け与えようとしないで欲しい。私はずっと部屋に籠っているが、アンタ達は何も気にせずに外出しているじゃないか。そんな感染リスクが激高な人達から食べかけを貰える程、心の許容範囲は広くない。だから気にせず食べて欲しい。私がご飯を楽しく作れるのは、美味しそうに食べてくれる人達がいるからだ。気付いてないと思うが、私は本当に食にこだわりが無い。お腹が膨れたらいいので、自粛期間に入ってからのお昼ご飯は毎日グラノーラボウル1杯で過ごしている。今食べているグラノーラケロッグのものです。日清食品グループカルビーも美味しいけど、今の私はケロッグが1番美味しいと感じてしまう。

あと今日はネイルを乾かしている間に寝落ちしてしまって、思いがけずお昼寝をしてしまった。おかげで変に頭が痛い。ぴえん。
ここまで詳しく書いて、身バレしないか心配だけど、そもそもそこまでアクセス数も無いので、まあいっかと思っている。

なんだか無性に本が読みたい気分だし、思いっきり泣きたい気分だ。そんな夜も、ありなのかもしれない。